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広島県(ひろしまけん)は日本の中国地方に位置する都道府県の一つ。瀬戸内海に面する。県庁所在地は広島市。広島都市圏と備後都市圏を中心に工業(自動車産業)・商業が盛んである。 県庁所在地の広島市は中国・四国地方最大の都市であり、政令指定都市に指定されている。 一方で海、山の豊富な自然にも恵まれ、農業・漁業も盛んである。この為「日本國の縮図」とも呼ばれる。旧国制に倣い、大まかに県西部を「安芸」、県東部を「備後」と呼び、現在でも方言・文化的に大きな違いを見せる(方言については広島弁・備後弁を参照のこと)。ただし近年の広島県の施策では、有する都市機能と生活圏などから、広島圏域(県西部)、備後圏域(県東部)、備北圏域(県北東部)の3つにわける場合も多い。世界初の核攻撃を受けた広島市を抱えることから、国際的に知名度が高い。また安芸の宮島と原爆ドームの2つのユネスコ世界文化遺産を有しており、日本国外からの観光客も多い。瀬戸内海には大小合わせて約140の島を有す。県内の豪雪地帯は日本海側気候、それ以外の地域は瀬戸内海式気候。隣接する岡山県に比べると全般に降水量は多い。夏季は非常に暑くなる一方、広島市内などでも冬季は寒気の影響を受け、積雪することも少なくない。また、緯度の割には冬の冷え込みは厳しく、特に中国山地の山沿いは、庄原市の高野地区の-18.5度(1991年2月26日)を筆頭に、-15度以下まで下がることもあるほどの厳寒地である。県名は県庁所在地である広島市に由来する。その広島の由来は、1589年(天正17年)からの毛利輝元による広島築城の際に、1591年(天正19年)命名されたものである。大江広元(毛利氏の祖)以来、毛利氏は「元」の通字以外、「広」も諱に使用する字のひとつとしていた。毛利元就の時代には、完全に臣従したもの(吉川元春、天野元貞、出羽元祐など)には、「元」を一字書出として与えたが、そうでない国人衆(平賀広相、阿曽沼広秀など)には、明白に傘下に組み入れられたと示す「元」の字を避け、「広」の字を与えたとされる。この慣習は毛利輝元にも引き継がれ(吉川広家、山内広通、益田広兼など)、毛利氏(特に輝元)の与える「広」は重要な意味合いを持った。従って「広島」は、この「広」とこの地の豪族であり、普請奉行であった福島元長の「島」を合わせたとする説が有力である。また他に、デルタのため「広い島」からきたという説もある。旧石器時代から人々が居住していたと考えられ、広島大学(東広島市)には約2万7千年前に遡る西ガガラ遺跡がある。[1] 倉橋島(呉市倉橋町)の鹿島沖からナウマンゾウの化石などが引き上げられている。甲立古墳や石槌山古墳群などの古墳もあり、 白鳳時代には備後国に寺院が建立された。江戸時代の藩については備後国の福山藩、安芸国の広島藩、広島新田藩 備後の家老浅野家の広島藩の支城三原城が置かれた。公選知事(1947年 - )のみを示した。これ以前の官選知事については広島県知事一覧を参照のこと。詳細は「広島県庁舎」を参照地方債残高普通会計分と特別会計分の地方債合計 2兆1265億円 広島県は1984年9月17日に中華人民共和国四川省と、1997年5月30日にアメリカ合衆国ハワイ州と友好提携を締結し、交流を行っている。また、大韓民国慶尚南道との交流も行われている。戦時中の日本陸軍・海軍の主要拠点が置かれた広島県は、呉の海軍工廠を始め多くの軍需施設が置かれ、戦後もそれらに携わった技術者・職人らによって技術が継承されモノ作りが盛んである。自動車・造船、そしてのちに加わった鉄鋼の御三家を中心に、瀬戸内海工業地帯の中核として発展、1994年までは工業出荷額で、関西以西、中四国・九州の西日本17県でトップを維持したが、バブル景気の崩壊でこうした重厚長産業はもろに影響を受け、三社の自動車メーカーの工場などを誘致した福岡県に製造品出荷額等で抜かれた。しかし近年の景気の回復、及び中国特需でこれらの業種は空前の好景気を記録、2004年の製造業出荷額は、6.3%増の7兆4153億円、製造品出荷額等は5.7%増の計21兆7468億円と、10年ぶりに福岡県を抜き関西以西でトップに返り咲いた。また重厚長産業に偏重した反省から、半導体製造のエルピーダメモリや日東電工などIT・デジタル関連機器メーカーを積極的に誘致し対応を図り、全体的にはバランスのよい産業構造になっては来ている。しかしながら景気がいいのは大企業と関連会社が多く、バブル期の融資でつまずいた金融業、また規制緩和の影響を受ける輸送業、外国からの安価な原料に苦しむ製造業など、その他中小企業の景気回復は遅れている。明治以降、広島市に大本営が置かれてから今日までの、広島市を中心としたエリアのドラスティックな歴史が、同じく明治以降の日本の歴史とシンクロされるため、近年経済誌でよく特集を組まれている。県東部の備後地方は常石造船に代表される造船業、昭和30年代に立地した世界最大規模の製鉄所JFE西日本製鉄所福山地区を代表とする鉄鋼業、シャープ福山工場を代表とするIC・半導体産業、古くからの地場産業である繊維産業が集積している。Category:広島県の企業も参照県下には14市5郡9町があり、それらは県庁によって1つの大都市周辺地域および7つの広域市町村圏の計8つの広域行政圏に区分されている。ただし、この広域行政圏は実際の都市圏の枠組みとは異なる。県内には広島市を中心とする広島都市圏、福山市を中心とする備後都市圏が存在し、それぞれ広域行政圏や県境を越えて広がっている。以下、広域行政圏ごとに市町村を記載し、人口を付記する(2005年国勢調査の値。広島県全体では2876762人)。すでに退職した世代から団塊の世代にかけて、日教組系教職員の組織力が強かった。部落解放同盟広島県連と連携するなど、競争原理よりも平等に重きが置かれていた(例・総合選抜制の入試など)。しかしその是正を掲げて、文部科学省から教育長が順次派遣され、上意下達式の変革がなされた(2007年4月から二十数年ぶりに生え抜きの教育長が就任した)。2005年度入試から全県で学区の壁がなくなり、受験競争が激化している。小学校では「100ます計算」に象徴されるように、基礎基本の定着が一層図られるようになった。小学5年生と中学2年生において共通学力テストが実施され、その結果は、各学校ホームページで公開されている。なお、もともと被爆県として平和教育がさかんであった関係で、式典における国旗掲揚、国歌斉唱の取り扱いについて、現場に意見の差が残る。処分の適否が司法の場に預けられているところである。中学などで学校選択制が始まるとともに、公立中高一貫校が複数スタートした。競争原理が予算面にまで影響するようであれば、納税者の理解が得られるかどうかが未知数である。広島県警察本部の管轄にあり、以下の27警察署が置かれている。県の施設に関しては文頭に「★」を入れている。便宜上1000人以上収容施設を記載している。原爆関係については広島原爆をテーマとした作品も参照のこと。(古典)(原爆関係)(その他)「広島県出身の人物一覧」を参照。