


ナビゲーション

群馬県(ぐんまけん)は、日本の都道府県の一つで、関東地方北西部に位置する。県庁所在地は前橋市。県中北部に広大な山地を有する自然豊かな県である。上代においては栃木県域とともに「毛野国」(毛の国)を形成し、これを上下に分かち「上毛野国(かみつけぬのくに)」とされ、のちに上野国となる。現在の県域はほぼ上野国と一致し、今でも異称として「上州(じょうしゅう)」「上毛(じょうもう、かみつけ)」を用いることがある。県名は、藤原京木簡では「車」の一字で表記されていたが、奈良時代の初めに全国の群や郷の名を二文字の好字で表記することとなり「車(くるま)」を「群馬」と書くようになったことに由来する。 つまり、車評(くるまのこおり)を群馬郡と改めた。群馬は「馬が群れる」という意味であり、貴重な馬が群れている豊かな土地であり、また、そうなりたいという願いがあったのであろう。[1][2]この地方が古くから馬に関係あったことはよく知られている。「空っ風」「雷」「カカア天下」が名物。海洋国家である日本において、内陸部に位置する数少ない県である。 カカア天下の由来としては、富岡製糸などの「おかいこさん」による婦人方の稼ぎがあったことが考えられる。また、群馬県は一世帯あたりの車保有台数が日本一多いことで知られている。北部は赤城山や谷川岳などの山岳部となっており、豪雪地帯に指定されている地域が多く、冬季のスキーリゾート地として知られる。この地域には温泉も多く、神奈川県、栃木県とともに関東有数の温泉地でもある。南部は関東平野の北端にあたり、他の関東地方平地部と同様に夏季多雨、冬季少雨を呈する。前橋市は農業中心に、また高崎市は工業と商業を中心に発展しており、県の施設が多数設置され県の中心地域となっている。桐生市は織物(桐生織)の生産が盛んであり、関東有数の機業都市として古い歴史を持つ。伊勢崎市は絣(伊勢崎銘仙)の産地として有名である。東北自動車道に近い太田市や大泉町は内陸型の組立工業が発達しており、富士重工業を中心に発達してきた北関東屈指の工業都市である。食物は下仁田町のねぎ、嬬恋村のキャベツ、富岡市や下仁田町のこんにゃく、館林市と渋川市伊香保町水沢地区(旧・伊香保町)のうどんなどが有名である。県の人口の7割ほどが南部平野部に集中しているが、県内の地域ごとに拠点都市が分散していることから、明確な首位都市が存在しない。平野部に位置する前橋市・高崎市・桐生市・太田市は、それぞれ「県都」・「商都」・「織都」・「工都」と称され、行政・商業・歴史・工業といった機能を分担している。旧石器時代 - 1979年(昭和54年)に国の史跡に指定された岩宿遺跡をはじめ旧石器時代の遺跡が多い。現在では、150以上の遺跡が発見されている。そのなかの一つ、2千数百年前の下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡(伊勢崎市赤堀町)は大規模な集落であり、出土した石器・石材は2000点あまりにのぼった。武井遺跡(桐生市新里村)からは10万点あまりの槍先尖頭器を中心とする石器やこぶし大の石[3]が大量に発見されている。これらの石器の石材は近くの渡良瀬川や栃木・長野県のものがみられ、この時代には既に人や物の交流・交易が行われていたことが分かる。また食料としては、ナウマンゾウ・オオツノジカなどの大型哺乳動物、シカ・イノシシなどの動物、それにウド・ゼンマイ・ヤマゴボウ・ユリ根・クルミなどであった。[4]上毛野国(かみつけぬのくに)は古代東国の一大中心地で、4世紀前半から前方後円墳が出現した。前橋天神山古墳、朝子塚古墳(太田市)、浅間山古墳(高崎市)、太田天神山古墳など東日本最大規模の古墳が築かれた。 また、太田市飯塚町にて埴輪挂甲(けいこう)の武人が出土し、国宝に指定された。 6世紀の中頃に榛名山が大爆発を起こした。その時の爆発で軽石の下敷きになった村がそっくり姿を現した。黒井峯遺跡(子持村)である。そこからは大小の竪穴式住居址、倉庫や納屋、家畜小屋、水田や畑が発掘されている。これまで不明であった古墳時代の集落構造の資料を提供することとなった。律令制の下では東山道上野国で、国司が国を治める国府の所在地は現在の前橋市元総社町付近であったと推定されているが、その遺跡は確認されていない。周辺に国分寺・国分尼寺の跡がある。10世紀の郡は、碓氷(うすい)・片岡・甘楽(かんら)・多胡・緑野(みとの)・那波・群馬(くるま)・吾妻(あがつま)・利根・勢多・佐位・新田・山田(やまた)・邑楽(おうら)の14、郷は102(『和名類聚抄』)。和銅4年(711)、多胡郡は片岡・緑野・甘楽の3郡から300戸を割いて設けられた。延喜式神名帳に記載される名神大社としては後に一ノ宮となった貫前神社(富岡市)や赤城神社(前橋市に論社3社)、伊香保神社(伊香保町)があり、高崎市の辛科神社は渡来系の神社として知られている。このあたりには古くから渡来人が多かったようで、8世紀始めに甘楽、緑野、片岡各郡から6郷を割き、多胡郡が成立した。多胡郡建郡を記念する多胡碑など上野三碑が古代の金石文として知られる。中世には鎌倉御家人となった上州武士も多かった。新田義貞が足利尊氏とともに後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕運動に参加し、建武の新政にも参画した。その後は山内上杉家の本拠となり、戦国時代には上杉氏・武田氏・北条氏の争いの最前線となった。江戸時代初期には東国の北の守りとして主に譜代大名が上州に配置され、前橋藩、高崎藩、沼田藩、館林藩、安中藩、小幡藩、伊勢崎藩、吉井藩、七日市藩などがあり、交代寄合旗本では岩松(新田)氏の岩松陣屋があった。また岩鼻には上野国内の幕府領を支配する代官の陣屋(岩鼻陣屋)が置かれた。江戸時代から昭和初期にかけては、桐生織を中心に、当時の基幹産業である絹織物生産の中心地となった。上州の女性が家庭社会において従属的な位置に甘んじることなく元気溌剌としている大きな理由は、養蚕織物業によって女性であっても多くの収入を得られたからである。これは加齢年齢にも影響を受けない練達技巧である。いわゆる「かかあ天下と空っ風」である。「かかあ天下」は、「女性(妻)に頭が上がらない男性(夫)」とか「妻の尻に敷かれている夫」と取られがちだが、上州の男が自分の妻を感謝・尊敬し、自慢する意味で「ウチの母ちゃんは天下一」という意味を持っている。養蚕業は原始的ながら複雑な工程を経るため、群馬県(埼玉県北部上武地域を含む)では養蚕業に由来する社会行事が多く残っている。民俗学的に優れた材料の宝庫ともいえ、評価が高い。往々にして写真美術の題材になるなど、養蚕業の深奥は未だに尽きるところがない。養蚕製糸業は当然製造工学的な技術発展を促しており、これを背景に大正時代には日本最大の飛行機会社となった中島飛行機が設立された。第二次世界大戦中には疎開地として多くの民衆・企業を受け入れた。軍需工場が集中する高崎市街地、前橋市街地、伊勢崎市街地、桐生市街地、中島飛行機太田工場、小泉工場はそれ故に米軍による市街地空襲の標的となり、その内、高崎市、前橋市、伊勢崎市、太田町(現:太田市)の一部、などの市街地は甚大な被害を受けた(桐生市はほとんど被害なし)。戦後はこれまでの平野部の農業、工業製造業も復活したが、娯楽民生に技術を転用した好例として遊技機(パチンコ機パチスロ機)の製造販売が盛んである。製造業の系譜は途切れることなくまた女性の社会参加も同様である。県民の一世帯あたりの自家乗用車保有台数は全国でも首位を争うほどである。一家に親世代子世代用の各乗用車に加え一定の労務に従事する女性のための乗用車を用意しているのが各統計に見られる多くの姿である。政治的にも首都圏にありながら保守土着の性質が未だに残り、自由民主党の勢力が強く「保守王国」と呼ばれる。また、有力議員が当選回数を重ねて首班指名を受けるという現代保守政治の手続に忠実な意識である。戦後には福田赳夫(高崎市)、中曽根康弘(高崎市)、小渕恵三(中之条町)、福田康夫(高崎市)と4人の総理大臣を輩出している。しかし、2009年の衆議院議員選挙では、自民党への逆風から5議席中3議席を民主党に奪われ、政権交代の象徴的選挙区として全国から注目を浴びた。※各市町村の人口は合併発足当時のもの。詳細は「群馬県知事一覧」を参照福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫の4人の首相を輩出した群馬県は元来、全国有数の「保守王国」・「自民王国」と呼ばれるように県内の衆議院全議席を独占し、自由民主党の県議会議席占有率は常に80%以上であった。但し自民内部は福田派と中曽根派の2大派閥による抗争を抱え、近年までは県政万年与党でありつつも分裂状態だった。 一方共産党を除いた非自民勢力もオール与党として県政を支えていた。しかしながら、当初は小寺県政下において与党であった自民は次第に距離を置くようになり、遂には対立して野党化。また自民内部の抗争も収束し派閥解消がされた。一方の非自民勢力は、民主党が保守系と労組系の内部対立により分裂状態となる。民主党労組系と一部の保守系無所属議員は県政与党であり続けたため、2007年の県議選、及び知事選においては知事派・反知事派が対決することとなった。そして結局知事選では福田康夫の支援の下、知事選としては自民から異例の公認を得た元県議会議長の大沢正明が現職の小寺を破り当選、知事と自民党の対決という構図は一応収束した。平成17年度に、県庁は県内を5つの地域に区分してそれぞれ県民局を設置した(地図等)。元々は以下の4地区で構成されている。地方裁判所や地方検察庁の管轄では、東毛は桐生地区と太田地区に分けられる。人口は県庁所在地の前橋市が約34万人、隣接する高崎市が約37万人であり、(群馬県内では太田市(約21万人)、伊勢崎市(約20万人)も同様)実質的に双子都市となっているが、行政面では別々の地域とされることがほとんどである。岡山県の岡山市と倉敷市、埼玉県の旧浦和市と旧大宮市(現さいたま市)の関係に似ている。平成17年度以前は、県内を4つの地域に区分するのが一般的に受け入れられてきた。以下、その地区ごとに県下12市7郡15町8村を記載する。(市制施行が可能な町はなし、町制施行が可能な村は2村で、榛東村と嬬恋村)なお、地域名は正式呼称ではない。「町」の読み方はすべて「まち」。「村」の読み方はすべて「むら」。※()内は合併前の市町村、人口は2010年9月1日現在人口 455860人人口 242144人人口 430623人人口 148563人吾妻郡が属する。人口 61839人人口 88903人人口 172679人人口 398721人群馬県の廃止市町村一覧を参照のことこのほかにも三国コカ・コーラ群馬工場・キリンビール高崎工場・日本たばこ産業高崎工場(いずれも高崎市)があったが、事業再編リストラクチャリングにより撤退した。群馬県は二毛作による小麦の栽培が発達していたため、うどん、焼きまんじゅうなど、小麦粉を使った名物料理が多い。放送区域は関東広域圏に属する。県域放送の群馬テレビ(GTV)のほか、NHK放送センター(総合テレビ・教育テレビ)、在京キー局5局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)、放送大学学園が東京タワー・前橋中継局をはじめ県内各地に中継局を設置している。・在京AM3局(TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送)はほぼ全域で昼夜通して良好に受信可能。